入力が足りないなあと思っていた。忙しいことを理由にいろいろと欠けたものがあったので(デジャヴというか
こぴぺ)・・・本屋にできるだけ通うようにした。新作を追いかけるほどに精通していないから、文庫でよさそうなのがあればそれで満足してしまう感じ。小さな活字に不自由するほどに目も弱っていないし、ついでのときに持ち歩いて気楽に読めるのはやっぱりいい。
言い訳するようでアレだけれど、電車などで一定の時間通勤をする間に時間があれば状況は違うと思うのだが、自転車通勤が中心であるので、日常の読書が思ったほどにはかどらない。隣の芝生が良く見えるだけなのはわかっているのだが、電車通勤でまとまった時間がある人がうらやましい。まあ実際には通勤の車内は大混雑で大変なんだろうけれど。
職場からの帰り道には中規模の書店はあるので、文庫のコーナーはそこそこ満足できるのだけれど、先日ちょっと寄った大きな書店の棚の多さには妙にワクワクした。ところが、ちょっと前に買ってまだ読んでいない本が何だったかが思い出せない。ダブって買ってしまいそうな気がして、結局その日は買うことが出来なかった。音楽CDだと何を買ったかはかなり覚えているのだけれど、やっぱり買うときにあんまり気合いが入ってないせいなんでしょな。
Amazonなんかの通販サイトを閲覧していると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」ってリストが出て、趣向に合いそうなものが出るけれど、音楽作品の場合には、実店舗で見ていても自分の脳内で同じことが出来ていて「このアルバムに参加しているこの人のを買ってみようか」なんてよくやって、極端に外すこともあまり多くはない。
ところが書籍の場合には、自分の頭の中でこうした体系づけが全く出来ていない。小説などで一旦読んでよかった作家の作品を買うことは出来ても、そこから上手く別の方向にまで広がって行かない。結局オビのコメントや解説をチラっと見たりするんだけれど、すんなりと入ってこないし、読後の印象は全然違うことが多い。やっぱり、本は基本的に作家が一人で書くものだから、音楽作品と比較すること自体が間違いなのだろう。
まあそんなことを思いながら、それでも本を読んでいないと、ただでさえボロボロと音を立てて脳細胞が崩壊する速度を和らげることが出来ない気がするのだ。最近、ど忘れがものすごく頻繁にあるように感じて危機感がある。PCの漢字変換に助けられすぎて、手書きの際に漢字が書けなくなったのはしょうがないと思うが、ちょっとした文章を作るときに語彙が広がらないのも悲しい。ともかくONの時でもOFFの時でもできるだけ脳の活性化をしたい日々なのだ。結局外してもいいからとにかくいっぱい読むしかないのかもね。
今日の一枚は最後の作品となってしまったマーヴィン・ゲイの名作。大スターでありながら、諸般の事情により低予算でレコーディングされたもの。しかしシンプルに見せていてよく練られた音の構成、天才が紡ぎだす珠玉のコーラスワークに涙。
Midnight Love
Marvin Gaye
こっそり追記
YouTubeにあった、プロモーション用につくられたのではないかと思われる動画。涙無くして見られない、というよりは時代を考えるとMTVもないわけだから、たとえ口パクであってもタミー・テレルの元気な姿はとっても貴重な気がする。(誤記こっそり直した
MARVIN GAYE & TAMMI TERRELL "Ain't no Mountain High Enough"
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