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中国茶は人生、花は宇宙、音楽はすべての答え
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はじめてのJAZZ。<出発点であるということ>
1950年代〜1960年代前半を中心に書いて来たこのシリーズ。「はじめての・・・」ですから、1960年代後半以降も全体をずっと見て行くというよりも、いくつかのスタート地点を提示できれば当初の目的は達成できたのかなあと思います。そこから先はお好みで「追っかけて行きたい方はどうぞ」という考え方です。

主な流れとしては、レコード会社にとってジャズという音楽がセールスの主流から外れたのが1960年代中頃、極度に抽象的なテーマや自由度を高くしたアドリブが多くなってきたのもこの時期から。米国での売れ筋はオルガンやギターを使った4ビートだけでないソウル・ジャズや、1970年に近づいて来るとCTIレーベルなんかのイージーリスニング路線、さらにその先にはフュージョンの全盛期になります。

ですから1960年代前半までを聴いてから先に進むか、後からでも過去の作品という源流を辿って行かないと、多くのことを見過ごしてしまう可能性が高いのですね。顕著な例として晩年のジョン・コルトレーンが徐々に過激なアドリブ表現に行き着いた状況も、初期、中期の表現を順に聴いていくとまた違った印象を持つことが出来ると思うんです。フリーやアバンギャルドな表現方法だけを最初から聴いても意味がわからない。

たとえば抽象画家も最初からそれだけを描いてないはずなんですね、目で見えたものを色々な思考や経験のフィルターを通して出力していると思います。そういったことを踏まえて作品に接すると、同じものを見たり聴いたりしても違う印象を受けると思うんです、ただ、これは「はじめての・・・」の役目ではなくて「次に続くもの」の話なのですね。

繰り返し書いていますが、ジャズにおいては「次に続くもの」は1960年代に入ってから、またそれ以降に発表された作品に重要なものが多いと思います。最初に聴かなくてもいいものですから、もしもこれらを最初に触れたら必ず遡って、1940年代後半〜1950年代前半、後半の作品もおさえてみて欲しいのです。


このシリーズ最後の紹介です、発表された年代に関係なく気持ちのいいものを登場させましょう。

Bill Evans (piano)/At Town Hall: +3
ピアノトリオ作品をずっと飛ばして来ましたので今回は入れます、といっても相変わらずビル・エバンスですけれど。個人的にはこの後に長期間ベース奏者としてパートナーになるエディ・ゴメスの音色よりも、このときのチャック・イスラエルの方が好きです。

後のライブでの重要なレパートリーとなるTurn Out The Starsは「父ハリー・L・エヴァンスに捧ぐ」のソロピアノのパートに含まれている美しい曲です。この時期のビル・エバンスの評価はあまり高くないですが、この作品は名盤といって差し支えないと思います。(1966年)

Far CryFar Cry/Eric Dolphy Quintet with Booker Little
チャーリー・パーカーが切り開いたモダンジャズのアドリブの地平に、新しい自由度の高い解釈を付け加え、異様なグロテスクさと繊細な美しさを同居させることに成功した作品だと思います。若くして夭折したブッカー・リトルのトランペットも美しいだけではない、次の時代を感じさせるやや硬質なフレーズや音色が魅力です。

バス・クラリネットとフルート、アルト・サックスを巧みに使い分けるエリック・ドルフィーは、不思議なアドリブ・フレーズを生み出す為にゲテモノ扱いされることが多いのですが、譜面にも非常に強く作編曲ともに才能を発揮した人です。個人的にはフルートの叙情性のある演奏が好きです。これはエリック・ドルフィーのリーダー作のなかでは難易度の低い方なので「ドルフィー最初の一枚」にどうぞ。(1960年)

秋吉敏子 / Lew Tabackin/Long Yellow Road
日本のモダンジャズの初期からピアニストとして活躍した秋吉敏子のビッグバンドは、米国で日本人としての個性を発揮することに成功したバンドです。音楽的にも良き理解者である夫のルー・タバキンの音楽性も、どこか日本的要素があるように思います。

このビッグバンドの代表的な作品としては、水俣病の悲惨さをテーマにした組曲の ミナマタ が聴ける1976年の インサイツ があるのですが、聴いているとついつい涙が出て来てしょうがないので、今回はもうすこしリラックスして聴けるこの作品を登場させます。ロング・イエロー・ロード はこのバンドのテーマ曲とも言える作品で、わかり易いメロディとシンプルなようで実は凝ったアンサンブルが魅力です。(1974年)

Diane Schuur/And Count Basie Orchestra
歌ものを入れそこなったので1枚追加。ダイアン・シューアの作品はGRPレーベルから出された為にフュージョン的サウンドがバックのものが多く、まあそれはそれで悪くないのですが「ビッグバンドをバックに歌いまくる作品なんかいいよなあ・・・」と思っていた頃に出たのがこのアルバム。

ダイアンは声に伸びやかさのあるいい歌手だと思います。残念なことに時間は待ってはくれないもので、この時ベイシー御大は既に故人となっていたのですが、フレディ・グリーンもこの作品がラストとなってしまったようですね。そんなことを踏まえて聴くと、また味わいも違って来るというものです。(1987年)


色々と書いて来ましたが、ジャズの話題をこれでおしまいにするわけではありません。ワタシもまだ聴いていないアーティストや作品が山のようにありますし、特にここ最近のものが手薄ですので、機会を見つけてまた書いてみたいと思います。ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。そしてどれか一枚でも入手してみてください、古くて新しい世界が広がっていくことを期待してこのシリーズを終了します。

ではまたレギュラーモードに戻ります。
| しながわ | music/はじめてのjazz | 15:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめてのJAZZ。<差別しない>
ついにしっかりとした雪になり、寒さの影響か開くことができずにいた庭のバラの蕾は、雪が積もった重みの影響で残念ながら折れてしまいました。さて、白い雪を見て気がついたわけではないのですが、ずっと紹介してきたアルバムは黒人のものばかり、白人を差別しているわけではないんですが、ワタシの嗜好がそうなのでしょうがないのですね。

ビッグバンドの時代には白人が中心の著名なバンドもいくつもあり、1950年代以降には映画産業などが発展したウェストコーストでは作編曲の能力が高い白人ミュージシャンが集まったため、すばらしいアンサンブルやスマートなアドリブプレイを聴かせる作品が生み出されていきました。そんな白人ミュージシャンの作品を紹介しましょう。

Art Pepper/Aladdin Vol.2: Modern Art
ジャズをあまり聴いたことのない人に対して薦めるアート・ペッパーの初期の作品といえば、一般的には Art Pepper Meets The Rhythm Section を選択することが多いと思いますが、ウェストコーストジャズの端正な雰囲気とアドリブのすばらしさから考えると、絶対にこちらの作品を優先させるべきだろうと思います。麻薬の問題をずっと抱えて浮き沈みのあったアート・ペッパーですが、スタン・ケントン楽団での活躍から1950年代後半までの時期を好む人が多いのもこれを聴けば頷けますね。

このコンプリート版は確かに曲順に問題があるわけですが、オリジナル版の曲順に合わせてブルース・イン〜ブルース・アウトまで並べ替えて、それ以降にサマータイムなどを聴くようにすればOK、CDプレイヤーのプログラム機能やiTunesなんかを使っていくらでも可能なので、特にiTunes+iPodな人は気にしなくてもいいように思います。追加収録曲であるサマータイムの幽玄なアルトサックスプレイはゾクゾクします、これが聴けることの方が重要です。(1956年)

Chet Baker/Sings
トランペットを吹いて、さらに歌える人といえばサッチモことルイ・アームストロングが真っ先にあがると思いますが、白人ミュージシャンでは一番人気もあったのがチェット・ベイカーでしょう。上手いんだか下手なんだかわからない歌い方なんて言われる場合もありますが、なんともいえない声質で夜に聴くと美味い酒の肴になります。つまみいらず。

My Funny Valentine や But Not for Me をはじめとして、このアルバムでは歌のことばかり話になるのですが、よくよく聴くとトランペットの抑制の効いたフレーズは上手くバックの伴奏とバランスが考えられていて、すばらしい雰囲気を作っていると感じます。小さな音でも大きな音でも夜に聴きたい傑作です。

さて、このチェット・ベイカーという人も麻薬で苦労し、最後は転落死という悲しい結末を迎えています。ある意味間違った「憧れのジャズマン」の代表格の一人でもあります。(1956年)

Julie London/Around Midnight
白人女性のボーカルといえば、ヘレン・メリルやケントンガールズと言われたスタン・ケントン楽団に所属したアニタ・オデイクリス・コナージューン・クリスティ あたりの名前がよくあがるわけですが、あえていかにもアメリカの良い時代を象徴するような「カイデーパイオツ」な女優でもあったジュリー・ロンドンを登場させましょう。

ジャケット的には 彼女の名はジュリーVol.1 で決まりなのでしょうが、端正に歌う雰囲気が見事なこの作品を選んでみました、ちなみにこの作品のジャケットデザインは美脚を時計の針に見立てていて、LPでは金色にピカピカ光っているのだそうです、ずいぶんとまた凝ってますね。内容のほうですがスタンダードナンバーをあまり難しく崩したりせずに原曲に忠実に歌っているようなのですが、何ともいえない声の質のためでしょうか、とても雰囲気のあるジャズ作品に仕上がっている思います。黒人女性のボーカルが粘っこくて苦手という方には、さらっと特に気持ち良く聴くことができるのではないでしょうか?(1960年)

※ちなみにこの人の作品は2枚分を1枚にまとめた、2,000円くらいで買える廉価盤シリーズがありますのでそれを狙うのも手です。ただし、新品で1,000円くらいの価格のものはどうやらCCCDのものもあるようですので、環境によっては再生に問題が発生する可能性もありますので要注意です。
| しながわ | music/はじめてのjazz | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめてのJAZZ。<まもなく嵐>
幸せな時代はずっとは続かなかったのでした。

1960年代、アメリカでは公民権運動と長期化してきたベトナム戦争にたいする反戦運動で激しい時代を迎え、楽しいだけでは済まないということに多くの人々が気がついてしまったわけです。特にベトナム戦争では多くの人的犠牲もあり、後の1970年代まで映画や音楽においてアメリカにとって大きな挫折となった戦争をテーマにするものが創られました。

Jazzにおいても激動の時代は1960年代初頭あたりから始まったとみるのが妥当ではないかと思います。1950年代最後のあたりから始まったモードとフリーへの流れがそれなんですけれど、言葉で書いてあるのを見てもいまひとつ意味が分かりませんし正直な話、そんなの詳しく知らなくてもいいんじゃないかと思います。音楽理論とか知っていれば、聴くときに別の切り口が見える可能性もありますけれど、そうでなければ楽しめないっていうのは間違っていると思うんですね。丁度この頃から音楽のビジネスにおいてはロックやその他のポピュラーな作品がセールスを伸ばすようになって、ジャズは徐々にレコードがそれほど多く売れないジャンルになって来ていました。

いいものを生み出してもミュージシャンの生活が苦しいままなんてことが当たり前になって、1960年代後半から1970年代には電子楽器の採用やイージーリスニングへの流れが出てきます。まあ、大衆路線が全てダメという話ではないのですが、買ってまで聴きたくないものも出て来たのですね。聴く側もその辺のバランス感覚が難しいところで、アバンギャルドなものがわかったフリをするのがカッコいいと勘違いさせる評論家なんかが出て来たり、ともかくカッコつけたがるわけです。そんなことを踏まえつつもまだ比較的気楽な1960年代前半の作品から3枚いきましょう。

Horace Silver/Tokyo Blues
アート・ブレイキーとともにファンキー・ジャズといえばこの人、ホレス・シルヴァーは絶対にはずせません。エキゾチックな名曲を沢山生み出したことでも有名で、ピアニストとしてよりも作曲家として評価されているように思います。このアルバムは演奏の為に来日したときの印象をもとに吹き込まれたもので、ジャケット写真の妙なファンキーさに日本人にはかえって手が伸びなくなりそうですが、音は日本的なものではなくてラテンタッチを上手く生かした佳曲が揃っています。(1962年)

iconDomino/Roland Kirk icon
ローランド・カークは巨漢で迫力がありながら盲目であること、リード楽器を複数同時に演奏することからどうしてもキワモノ扱いされてしまっている人。ワタシも最近になって初めてきちんと聴いたのですが、これがまた難解な部分なんてまるっきりなくて、ひたすら楽しいサウンドにびっくりします。なんでこのアルバムを後回しにしてしまっていたんだろうとやや後悔しているほどです。ポップで耳障りのいい部分も沢山持っていて、はじめてJazzに触れる人にも安心して薦められる痛快な作品。(1962年)

iconI Just Dropped By To Say Hello/Johnny Hartman icon
ジョニー・ハートマンといえばコルトレーンとの共演作、John Coltrane & Johnny Hartmanがあまりにも有名ですのでそれを紹介すればいいのでしょうが、あえて今回はこのアルバムを登場させましょう。ソフトな歌い方をする人で紹介文には必ず「クルーナー唱法」という言葉が使われます。どういうことかちょこっと調べてみると「ささやくように歌う」というような歌い方らしいです、男性のジャズボーカルはソフトな歌い方が人気があるように思いますが、特にこのアルバムは夜に聴くのにピッタリ、いわゆる酒がすすむ一枚というやつです。(1963年)
| しながわ | music/はじめてのjazz | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめてのJAZZ。<日本人向けにこだわらない>
とっかかりにどうするのがいいのでしょう? 読書でも映画でも絵画でもそうですが、それぞれの方ひとりひとりに好みがあって、オススメできる最大公約数なんて実は無いのかもしれません。音楽に何を求めるのかによって変わってしまいますし、ここに来るまでの音楽体験がどうだったかによって、新しい出会いにおける感じ方は様々です。

せっかくここでこんな文章を読むわけですから、多くの入門的な書籍や雑誌、Webなどでは見られない切り口で、なおかつ主流を大きく外さない方向で行きたいものです。前回まではワタシの音楽体験をもとに話をすすめてきましたが、ここからはさらに私的な考えを拡張しながら、アルバムの紹介まで行きたいと思います。

ジャズの世界には時代ごとに人気があったり、後のミュージシャンへの影響力を考慮したなかで、主流となったスタイルが評論家などによって多く語られることになります。海外のことはわかりませんけれど、日本では「マイルス・デイヴィスを中心にしてジョン・コルトレーンやビル・エバンスあたりも、その影響を受けて・・・」と語っておけばOKという変な風潮が強くてヘキヘキします。まあとりあえず、ジャズに区分される音楽は色々な個性のミュージシャンによって様々スタイルが変化し、それはそんなに簡単に説明できるものではないということだけ押さえていただければ結構だと思います。

ここをずっと見てくださっている方は、最近までワタシがマイルス・デイヴィスの作品をきちんと聴かずに来たことをご存知だと思いますが、だからこそ先入観なく幅広く色々なスタイルを聴けて来たと思うのです。基本的に特定の人の変化の歴史をあんまり重視すると、「勉強」とか「研究」って感じが強くなって楽しくありません。まあそれでもあえて大きな流れを作った巨人として挙げるなら、デューク・エリントン、チャーリー・パーカー、オーネット・コールマンだと思うのです。ただ、その巨人たちのアルバムを歴史的な価値があるからということだけで買って聴くのもおかしな話で、「自称ジャズに詳しい人」の言うことを鵜呑みにしているだけでは、おそらくは楽しく聴けるとは思えないんですね、まあ、そんなしながわの書くことも全てを鵜呑みにするのは禁止です(と保険をかける卑怯者)。ともかくむずかしいこと考えずに売れ線を狙ったりした方がかえって面白いだろうと考えるわけです。芸術うんぬんでなく大衆文化の部分を強調していきたい。


またまた長くなりましたのでアルバム紹介に移りましょう、まったくもって年寄りはクドくてイカンですな。さて日本人とアメリカやヨーロッパの人との感覚の違いというものは、教育や辿って来た歴史、環境の違いによるものがそうさせるのか非常に大きくて、日本人受けするスタイルとアメリカ本国やヨーロッパで好まれるスタイルではずいぶんと異なる場合があります。ですが、日本人はピアノトリオを聴いていればOKというような薦め方はとてもいびつなことですので、ここはひとつ年代別でざっくりといきましょう。まずはチャリーパーカー以降の、ジャズが前進しながらもいちばん明るくわかり易かった時代からスタートします。

この時代の名盤としては過去に取り上げた、The Cannonball Adderley Quintet in San FranciscoSonny Rollins, Vol. 2あたり、それと前々回のようなクリフォードブラウンが聴ける作品、ビル・エバンスの諸作、歌ものではElla & Louisなんかを挙げざるおえないのですが、このページの色を出させてもらって3枚を紹介しましょう。

iconMingus Ah Um/Charles Mingus icon
どうもチャールズ・ミンガスというと難解な音楽をやっていたと思われているようですが、大きな誤解は評論家によって作られて来たのではないでしょうか。このアルバムはかなりわかり易く耳に馴染む曲が多く、小規模編成なのにビッグバンドに近い分厚いサウンドが魅力です。ジェフ・ベックやジョニ・ミッチェルがカバーをしたことでも有名な、レスターヤングを追悼して作られた曲、グッドバイ・ポーク・パイ・ハットが特に泣けます。(1959年)

John Coltrane/Coltrane’s Sound
同時期の録音で入門者向けとして、「My Favorite Things」を薦める人が多いのですが、この曲の名演は1963年のニューポートジャズフェスのものが定番なので、コルトレーンを揃えたい人以外は基本的にスルーしてもいいのではないでしょうか。やや渋めな曲が多いこの作品はコルトレーンがまだ絶叫をしていない時代のものなので、比較的聴きやすいのではないかと思います。このなかではNight Has a Thousand Eyes、Central Park Westなど特に素晴らく、変貌していくインパルス時代に触れる前にぜひとも聴いておきたい作品です。(1960年)

iconMidnight Special/Jimmy Smith icon
白状すると実はこのアルバムは持っていません(→買いました、ゴキゲン!)、ジミー・スミスはブルーノートレーベルに沢山の録音を残しているのですが、日本ではオルガンジャズの人気があまりないためかあまり話題に上ることがありません。ワタシは初期のオルガン〜ギター〜ドラムのトリオ作品を持っているのですが、なかなかホットで面白いのです。今は入手できませんが、ブルーノート復活の時のライブアルバムに収録されていたケニー・バレルやスタンリー・タレンタインとの共演がなかなか気に入っていますので、入手しずらいもののかわりにこのアルバムを出してみました。このあたりは自分も今後集めて行きたいと思っています。(1960年)

なんとも黒人の粘っこい部分が強調された作品が揃ってしまったような気がします・・・
| しながわ | music/はじめてのjazz | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめてのJAZZ。<滅びゆく恐竜>
学生時代の友人にYというのがいて、当時「夢はコーヒーとバーボンの店をやること」なんて言っていたわけです。若いうちに夢を持つことって大事ですけれど、今思うと「小っちゃいなあ〜」って思うんですね、それと間違いなく儲からない(笑)。同年代やその前の自営志向の人って、「小さくてもいいから自分の店を持ちたい」という話をする人が結構いたように思います。今なら「新しいビジネスを始めてドカっと儲けたい」って方向にいっちゃうのかなあ・・・って思います。

そんな自分の城を持ちたい志向の人が、日本の変な文化「ジャズ喫茶」をやっている(やっていた)んじゃないかなあと思います。好きな音楽を大音量で流して商売をしようなんて、虫がよすぎることに気がついていないか、わかっていても忘れようとしている不思議な人達です。大概は細々と赤字のまんまで経営しつつ、無理矢理お客に「マスター」って呼ばせようとして、結局「あの店の変なオヤジ」なんて言われているわけです。

ジャズ喫茶というところに行ったのは1回だけ、それも有名店ではなくてオシャレな街の自由が丘の東急線の線路近くにあった店でした。たしか雑居ビルの2Fにあったと思いますが、階段を上がるとドアの外にも大音量でハードなジャズが音漏れしています。素っ気ない防音のあまり良くなさそうなドアを開けると、薄暗い店内には案の定客はいません。思わず宅配の人かなにかが間違えて開けてしまったフリをして帰ろうと思いましたが、せっかくだからと思い直して入ってみることにしました。

ビニールレザーかなんかのスツールの席に座って、インベーダーゲームがマウントされていそうな黒い安っぽいテーブルの上の手書きのメニューを見ると、薄暗い照明の中に「コーヒー」という字を読むことが出来ました。近寄って来た無愛想な店の人(オーナーか使用人かはわかりません)の耳に口を近づけて頼みます。どでかいスピーカーから擦り切れたレコードのスクラッチノイズにまみれた「聴いたことない禍々しい音」が、ずっと暴力的にあまり丈夫とは思えない天井や壁や床を揺らしながらを鳴り響いていました。で、しばらくして出て来た濃いめのコーヒーが、どう考えてもしょっぱい。微妙に塩味? いやがらせされたのかはいまだに謎ですが、こんなにストレスが溜まる店も珍しい、どこもそんな感じだったのでしょうかね?

「拷問」から耐えきれずに数十分ほどで退散したら、外はオシャレな奥様や学生さんが闊歩する街。そんな散々な「滅びゆく恐竜」に何かを求めようとしたことが間違いであったようです。レコード、特にスタジオ盤を聴くだけじゃダメなんです、他のジャンルでもそうですが特にジャズって音楽は。

そこで、大会場や小さな会場でリーズナブルな金額で聴けそうなライブに接することにしました。自分が聴き始めたときには既にアメリカの著名なアーティストの多くが他界していましたから、とにかく日本の方々のライブを聴きました。中でも最も印象に残っているのが渋谷の東急本店だったかのレストランフロアのとても小さなスペースを使って数回行われたライブ。伊藤君子さんや金子晴美さんが目の前で歌ってくれたのです、今考えるとなんでアレが実現したのか謎な「採算」という言葉が全く存在しなかった企画でした。

音楽の興味はこの頃にはモータウンなどの黒い方向も同時進行していましたので、ブラックコンテンポラリーから今で言うオールドスクールのHIPHOPあたりまで色々とライブにも行きました。でも、ジャズはライブでの現場感覚が飛び抜けているのですね、ミュージシャン同士のアイコンタクトや、お客の反応によってどんどん「その場」が動いて行く感じがあるんです。というわけで、偏屈な空間で下を向いて聴いていてもわからない音楽ですが、ライブ録音の作品で疑似体験してみましょう。ということで今回も3枚ピックアップしてみました。

Keith Jarrett/Koln Concert
落語ってジャズに近いと思います、ところでお客の様子を見て演目を変えるって話はホントなんでしょうか・・・ともかく場の雰囲気が大事なのですね。この作品のコンサートでは街や会場、お客さんの雰囲気をもとに、即興で演奏したといいます。美しいピアノが冴え渡るキース・ジャレットのドイツでの最高の独演会。これをピアノとうなり声と足音(ドイツだからアディダスのスニーカー)のひとりピアノトリオ作品と書いた評があって大笑いしたことを思い出しますが、本当にテーマすら決めないでピアノの前に座ったのでしょうか、いずれにしてもキースが神になった瞬間の記録です。(1975年)

Ella Fitzgerald/Ella In Berlin
マック・ザ・ナイフでおなじみの作品、ソニー・ロリンズの人気盤サキソフォンコロッサスにも入っているモリタートもこれと全く同じ曲で、三文オペラからのものです。ライブで乗りまくるエラ・フィツジェラルドはやっぱりすごい。やや硬めな感じのする声質や、ややオーバー気味な表現を好まない人もいるようですが、個人的には美空ひばりとこの人が女性ボーカリストとしてはずば抜けているように思います。(1960年)

Keystone 3Keystone 3/Art Blakey & The Jazz Messengers
派手なドラミングとファンキーな曲のテーマでおなじみのアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャースはジャズの重要なグループのひとつでした。初期の頃から人材の登竜門としての役割を果たし、この作品が録音された当時にデビューしたウィントン・マルサリス、ブランフォードマルサリスなどを含むグループの時代もかなりの勢いがありました。長らく入手できなかったと思いましたが、現在は幸いなことにCDで入手出来ます。このキーストンコーナーというライブハウスでのアルバムの中ではこれが一番評判になっていて、聴くとなるほど熱いです。ライブに快作が多いアート・ブレイキーのバンドは1950年代、1960年代、1980年代と聴きどころの多い作品を多数発表しています。(1982年)
| しながわ | music/はじめてのjazz | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |